「べらぼう」第18話では、蔦屋重三郎と“カラマル”こと勇助の再会、そして名を「歌麿」として贈る場面が大きな感動を呼びました。苦しみの中に生きてきた勇助の壮絶な過去、重三郎の「助けたい」という一途な想い。そして、夢とも現実ともつかない“まささん”の不思議な展開……。
「生きていていいのか」と問う勇助に対し、重三郎が語る「救われるのは俺のほうなんだ」という言葉は、SNS上でも大きな反響を呼びました。
また、物語の終盤では再び政の影──西の丸での毒事件や鱗形屋の動きもあり、次回以降への不穏な空気も漂います。この記事では、各セリフの意味やキャラクターの心情を考察しながら、ネットで話題となったシーンを丁寧に掘り下げていきます。
1-1. 【あらすじ&まとめ】第18話「歌麿よ、見徳は一炊夢」とは?
カラマル=歌麿(ウタマロ)誕生の瞬間
蔦屋重三郎は、絵師・北川豊章のもとを訪ね、過去の因縁を確かめます。
「見込み違いだったか…」重三郎
夜、絵を描く青年のもとに現れたのは、重三郎だった。
「あれはお前が描いた絵だろ?」
それは、かつて蔦重の家にいた少年──「カラマル」こと勇助だった。
「カラマル…お前だったのか」
「俺はお前を助ける」重三郎
再び交差する二人の人生。重三郎はその名に、こう刻む。
「歌麿という名を、お前に贈る」
まささんの夢パートと“こぶら”の謎
一方、まささん(平沢常富)は謎の“こぶら”と遭遇し、夢の中で「切る」「逃げる」などSFじみた展開を経験。
「下を弄るまささん」
「夢だったのか…?」
これは、筆が止まったまささんが“書く理由”を取り戻す伏線とも読めます。
政変の影──毒事件と田沼派の動き
「西の丸で毒が盛られた」
物語の裏では、またも不穏な毒事件が発生。
「鱗形屋が店をたたむ」
吉原の街、商人たちにも次第にその影が忍び寄っています。
1-2. “勇助”の過去が明かされる──カラマルという存在
カラマル(勇助)の過去は、今回初めて明かされました。
「俺のお母さんは、俺を降ろそうとしたけど、どうやっても降りなかった」
「なんで生まれてきたんだ、食っていくのもやっとなのって言われながら育った」
その記憶は、あまりに重く、苦しいものでした。
「7つも過ぎたら、逆に売られるんだよ」
「金を稼げば、お母さんの機嫌が良くてね」
こうして“カラマル”として過ごした勇助が、なぜあれほどまでに人を避け、なぜあれほどまでに絵に執着していたのか。その答えは、鳥山石燕との出会いにもありました。
「先生の絵を写してたら楽しくて、写して、写して、夢中になってて…」
そんな彼に、石燕先生は「弟子にならないか」と声をかける。けれど──
「おっかさんがそんなことを許すわけもない」
「誰のおかげでここまで生きてきたと思ってんだ!」
結局、夢も愛も与えられなかった少年は、自らを“鬼の子”と呼び、過去から目をそらして生きてきたのです。
1-3. 重三郎の言葉と決意──「俺はお前を助ける」
カラマル(勇助)の過去を聞いた重三郎は、何も否定しない。ただ、黙って彼の痛みとともに歩こうとします。
「俺はお前のこと、助けらんねぇわ。けど…お前が生きてんなら、いくらでも力になることはできんぞ」
「死んだ奴らには悪いけど、お前が生きててよかったとしか思えねぇんだよ」
この一連の台詞に、SNSでも「泣いた」「蔦重って本当に優しい」との感想が多数。
そして重三郎は、再びカラマルに“名”を与えます。
「歌麿ってどうだ?……お前の画名だよ」
「そう名乗ることで、お前は“歌麿”になれるんだ」
これは“罪”を赦すことではない。“罪”があるとしても、それを背負ったままでも、名前を与えられ、生きることを認められる──それこそが、重三郎の信念なのです。
「救われるのは、俺のほうなんだよ…」
これは、単なる“恩返し”ではありません。重三郎自身が、源内や瀬川から“命のバトン”を受け取ってきたことを、彼自身が一番よく分かっているからこその言葉でした。



生まれてきたことを否定された記憶は、簡単には癒えない。
だからこそ、誰かの“名を呼ぶ”行為が救いになるんだと思います。
1-4. まさの“夢”パートとSF風展開の意味
まささん(平沢常富)の夢パートは、突如として“こぶら”という謎の存在が現れ、青本の筆が止まってしまう伏線とリンクしていきます。
「筆が止まったってさ。いや、“そっち”の筆じゃないよ」
「腎虚(じんきょ)になっちゃったんだよ」
腎虚──この時代における男性の性的不能を意味するこの表現が、まささんの“自信喪失”を象徴するギミックとして描かれました。
そして夢の中では、切る・逃げる・ぶたれる・描く……不思議でシュールな展開が連続。
「夢だったのか?いや、夢枕から覚めてもまた夢…?」
この“二重の夢”こそが、サブタイトル「見徳は一炊夢」の言葉──「人生とは一炊の夢のごとし(はかない夢のようなもの)」を象徴しています。



現実と夢の境界線があいまいになるとき、
人はようやく本音と向き合えるのかもしれないですね。
1-5. SNSで話題のセリフ&考察まとめ
Xでは、以下のセリフと展開が特に大きく反響を呼びました。
🔥印象的だったセリフ投稿
- 「俺はこの暮らしが居心地いいんですよ」
→「生きづらさを“居心地”で包む演出、切ない…」 - 「俺みたいなゴミは、さっさとこの世から消えた方がいい」
→「勇助の言葉が重すぎて、刺さりすぎて…」 - 「救われるのは、俺のほうなんだ」
→「この一言に全てが詰まってた。涙腺崩壊」
📌視聴者の考察
- 「ウタマロ=カラマル=勇助、名付けってこんなに深いんだ」
- 「鳥山石燕が実在の絵師って知って震えた」
- 「“夢を見せる枕”→“夢の中で生き直す”って、構成美しい」
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第17話にて、大文字屋市兵衛が娘との会話中に倒れ込むシーンが描かれました。しかし、第18話では彼の容態やその後の展開について一切触れられておらず、視聴者の間で不安や疑問の声が上がっています。
このような重要なキャラクターの急な体調不良が描かれたにも関わらず、次のエピソードでその続報がないことは、物語の進行や他のキャラクターの行動に影響を与える可能性があるため、視聴者としては気になるところです。今後のエピソードで彼の状況が明らかになることを期待したいですね。
1-6. まとめ──“名前を贈る”ということ
重三郎がカラマルに名を与えた瞬間、すべてが変わりました。
「過去」は変えられない。でも「名前」は未来をつくる力を持つ。
蔦屋重三郎が与えたのは、“許し”ではなく、“もう一度生きてもいい”という選択肢でした。
それは、かつて源内がくれた自由であり、瀬川がくれた愛でもあったのかもしれません。
だからこそ、重三郎は言ったのです。
「救われるのは、俺のほうなんだ」