
大河ドラマ「べらぼう」第35話「間違凧文武二道」が2025年9月13日に放送され、視聴者の心を大きく揺さぶる展開となりました。松平定信(井上祐貴)を「ふんどし野郎」として風刺した黄表紙『文武二道万石通』が大ヒットするも、肝心の定信が内容を完全に勘違い。皮肉が伝わらないどころか、逆に改革への意欲を燃やす結果となり、蔦重(横浜流星)は複雑な思いを抱えることになります。
べらぼう第35話 あらすじ
歌麿(染谷将太)にとっては人生の転機となる回でした。かつて廃寺で絵を拾い集めてくれた耳の不自由なきよ(藤間爽子)との再会を果たし、結婚を決意。過去のトラウマを乗り越えて新たなステージへと歩み出す姿に、多くの視聴者が涙しました。視聴率は7.8%と低迷したものの、SNSでは感動と考察の声が溢れ、特に「誤解の連鎖」をテーマにした現代社会への示唆が話題を呼んでいます。
家斉(城桧吏)が大奥の女中との間に子をもうけるなど、江戸城内でも大きな動きが見られた今回。そして次回予告では定信の激怒と黄表紙絶版の危機が示唆され、物語は大きな転換点を迎えようとしています。
歌麿ときよの再会が描く愛と成長の物語
第35話最大の見どころは、なんといっても歌麿(染谷将太)ときよ(藤間爽子)の感動的な再会シーンでした。雨に濡れながら洗濯物を取り込むきよを手伝う歌麿の優しさから始まる二人の物語は、多くの視聴者の心を掴みました。
運命的な再会シーンの演出美
雨という自然の演出が二人の再会をより印象的にしています。きよが耳が不自由で話すことができないという設定は、言葉を超えた感情の交流を描く上で重要な要素となりました。歌麿がかつて廃寺で絵を拾い集めてもらった恩を覚えており、きよもまた歌麿のことを記憶していたという運命的な設定が、視聴者の感情を大きく動かしました。
「顔つきや動きから何考えてんのか、考えるのが楽しくて、それを絵にするのも楽しくて、時がたつのを忘れる」
という歌麿のセリフは、彼の画家としての新たな境地を表現しています。言葉のないコミュニケーションから生まれる創作への情熱は、歌麿の人間的成長を象徴する重要な台詞でした。
過去のトラウマから立ち直る歌麿の心境変化
歌麿の師匠である石燕の死という悲しい出来事も今回描かれましたが、それすらも歌麿の成長の糧となっています。「雷を起こすあやかし」として石燕を偲ぶシーンでは、蔦重が「源内先生っぽい」と言及し、過去のキャラクターとの繋がりも感じさせる演出となりました。
歌麿が蔦重に
「ちゃんと名を上げて金も稼いで、いいもん着させて」
と語るシーンは、彼の責任感と愛情の深さを表現しています。かつて
「ただただ死ぬのを待っていた」
状態から、生きる意欲と目標を見つけた歌麿の変化は、多くの視聴者に感動を与えました。
蔦重の父親のような愛情表現
歌麿が描いた枕絵を見た蔦重の反応も印象的でした。
「よくかけたな」
と涙ぐみながら言う蔦重の姿は、弟への深い愛情を表現していました。さらに
「ありがたい。こいつにこんな絵を描かせてくれて、ありがたいものです。一生そばにいてやってください」
ときよに語りかける場面は、親のような心境を表現した名シーンでした。
蔦重が歌麿に百両を渡すシーンでも、単なる商売上の関係を超えた深い絆が描かれています。
「お支払いした100両を!」
と後でていに詰め寄られる蔦重の姿は、彼の人情深さを表現するコミカルな演出でもありました。
「ふんどし野郎」風刺が招いた皮肉な結果
今回のもう一つの大きなテーマは、蔦重たちが松平定信を風刺した黄表紙『文武二道万石通』の思わぬ結果でした。
黄表紙『文武二道万石通』の真の狙い
蔦重たちの本来の狙いは、定信の政策を茶化すことでした。「ふんどし野郎」という愛称で定信を揶揄し、その政策の行き過ぎを皮肉る内容だったのです。しかし、この風刺は完全に裏目に出ることになります。
「うちはふんどしを持ち上げているとしか思われてないんです。おふんどしを落とすつもりが担ぎ上げちまったってことか」
という台詞は、風刺が的を外した状況を端的に表現しています。意図とは正反対の結果となってしまった蔦重の困惑が伝わってきます。
定信の勘違いが生んだ改革加速
定信は黄表紙の内容を「励ましてくれている」と完全に勘違いしてしまいます。
「大明神は私が鎌倉武士どもを鍛え直し、見事立て直すことを望んでいるのだ」
という定信のセリフは、彼の自信過剰な性格と同時に、風刺を理解できない鈍感さを表現しています。
さらに
「根本から治すとは何をするのだ?」
「要は所詮、人の集まり。一人一人が正しい人となれば、正しい世となる。では、人を正しいものとするのは何か。それは学問」
という定信の論理は、理想論に走りがちな彼の性格を表現した重要なセリフでした。
誤解の連鎖が現代社会に投げかける問題
この「誤解の雪だるま」的な展開は、現代社会のコミュニケーションエラーを鋭く描写しています。SNSでも「人のコミュニケーションエラーを鮮やかに切り取っていて凄い」との声が上がっており、脚本の現代性が評価されています。
「殿が面白いことを仰せであった。俺たちのからかいも通じなかったが、ふんどしの志もまたそううまくは伝わらんのではないかと」
という台詞は、コミュニケーションの難しさを表現した深い言葉でした。
江戸城を取り巻く権力構造の変化
今回は江戸城内の政治的な動きも重要な要素として描かれました。
家斉の大奥での行動と政治的意味
家斉(城桧吏)が大奥の女中との間に子をもうけたという展開は、単なるプライベートな出来事ではありません。
「それぞれ得意なことをすればよいと思う。余は子づくりに励んでいるし」
という家斉のセリフは、政治への無関心さを表現しています。
「跡継ぎを設けることは、上様にしかできぬ、立派であると思う」
という一橋の発言に対し、定信が
「先に側室に子ができるなど。一ツ橋様は、それで、よろしいのでございますか?」
と問い詰めるシーンは、後継者問題の複雑さを表現していました。
定信の将軍補佐就任がもたらす影響
「ふんどしの神様が、将軍補佐というものになられたそうです。将軍補佐、上様がご成人なさるまで、代わりに政を執り行うそうで」
というていの報告は、定信の権力拡大を示す重要な情報でした。
この権力の集中が、今後の物語にどのような影響を与えるかが注目されます。特に出版業界への締め付けが強化される可能性が高く、蔦重たちにとって大きな試練となることが予想されます。
田沼意次の死と時代の転換点
「とうとうくたばったか」
という定信の冷酷なセリフは、政敵への容赦ない姿勢を表現していました。さらに
「石を投げた者を取り締まらぬこととせよ。民は、恨みつらみをぶつける的をなくすのだ。思う存分投げさせてやれ」
という命令は、定信の政治的計算の冷徹さを示しています。
この場面は、時代の転換点を象徴する重要なシーンでした。田沼時代の終焉と定信時代の本格的な始まりを印象的に描写しています。
次回予告が示唆する危機と今後の展開
次回予告では、物語が大きな転換点を迎えることが示唆されました。
春町先生の運命を左右する呼び出し
春町(岡山天音)が呼び出しを受けるシーンは、多くの視聴者に不安を与えました。
「俺はふざけているつもりはないのだ」
「からかいではなく、諌めたいというところか」
という春町のセリフは、彼の真意を表現していましたが、それが権力側に理解されるかは疑問です。
「とにかく、私はこれは出せば危ないと存じます」
というていの忠告も虚しく、春町は自分の信念を貫こうとしているようです。この姿勢が彼の運命にどのような影響を与えるかが最大の注目点です。
定信の激怒と黄表紙絶版の危機
次回予告では定信が新作黄表紙に激怒し、絶版を言い渡すシーンが描かれています。これまでの誤解から一転して、定信が真意を理解した時の怒りは相当なものになると予想されます。
「本を巡って奉行人が耕書堂に詰めかける」という展開は、出版統制の強化を示唆しており、蔦重たちの商売にとって大きな危機となりそうです。
物語のクライマックスへ向かう伏線
「凧の糸が切れる」という象徴的な演出は、これまで保たれていたバランスが崩れることを示しているようです。蔦重たちの商売と定信の政策の対立が、ついに表面化する時が来たのかもしれません。
まとめ – 第35話の見どころと伏線
- 歌麿の人間的成長: きよとの再会を通じて、過去のトラウマを乗り越え、新たな創作活動への意欲を見せた歌麿の変化が今後の美人画制作にどう影響するか
- コミュニケーションエラーの連鎖: 風刺が完全に裏目に出た展開は、現代社会にも通じる重要なテーマとして描かれ、今後も誤解が拡大する可能性
- 定信の権力拡大: 将軍補佐就任により権力が集中した定信が、出版業界にどのような統制を敷くかが次回以降の最大の焦点
- 春町先生の危機: 自分の信念を貫こうとする春町の姿勢が、権力との対立を生み、悲劇的な結末を迎える可能性が高まっている
- 家斉の後継者問題: 大奥での行動が政治的な意味を持ち始め、定信との関係にも影響を与える可能性
- 時代の転換点: 田沼意次の死により完全に定信時代となった江戸で、蔦重たちがどのように生き抜いていくかが今後の展開の鍵