【豊臣兄弟!第33話考察】なぜ勝家とお市は天守から飛び降りたのか?「よう見ておけ。これが戦じゃ」の真意と史実の最期をネタバレ徹底解説

「よう見ておけ。これが戦じゃ」——第33話「北庄城の別れ」は、賤ヶ岳で敗れた柴田勝家(山口馬木也)とお市(宮﨑あおい)が、九層の天守から手をつないで身を投げる衝撃の回でした。最後の晩餐の「嘘が下手じゃな」、茶々に託された守り刀、吉岡秀隆・千利休の初登場、そして小一郎が出した「覚悟」の答えまで、史実との違いを交えて徹底考察します。

目次

今話のあらすじ

天正11年4月、賤ヶ岳で柴田軍を破った秀吉(池松壮亮)は、勝家(山口馬木也)を追って北ノ庄城へ進軍します。城に戻った勝家を迎えたお市(宮﨑あおい)は手ずから膳を用意し、「嘘が下手じゃな」と夫をからかいながら、「私は良い夫に恵まれました」とともに死ぬ覚悟を告げます。秀吉の使者が来ると、お市は茶々(井上和)に守り刀を託し、「人と差し違えようなど、ゆめゆめ思うてはならぬぞ」と諭して三姉妹を送り出しました。そして羽柴軍の総攻撃のなか、勝家は「よう見ておけ。これが戦じゃ」と言い放ち、お市と手をつないで天守から身を投げます。信孝は内海で自害、三姉妹は秀吉のもとで寧々(浜辺美波)に迎えられました。お市まで死なせた自責で大徳寺にこもる小一郎(仲野太賀)は、茶人・宗易(吉岡秀隆)の「わし、好きやないねん、茶」という言葉と、迎えに来た慶(吉岡里帆)に救われ、兄に「天下一統、楽しき道のりではないか」と誓うのでした。

【衝撃と号泣】「よう見ておけ。これが戦じゃ」——手をつないだ九層天守からの投身

サブタイトルの「別れ」が、まさかこんな形で描かれるとは誰も思っていなかったはずです。賤ヶ岳で敗れ、北ノ庄城に追い詰められた柴田勝家(山口馬木也)と、お市(宮﨑あおい)。残った家臣たちと勝鬨まで上げた勝家は、城を囲む羽柴の者たちに向かって言い放ちます。

「よう見ておけ。これが戦じゃ」

そして勝家は、お市と手をつないだまま天守から身を投げました。腹を切るのでも、炎に包まれるのでもない。信長の安土城を凌ぐと言われた九層の天守から、夫婦が手を取り合って飛ぶ——大河ドラマ史上でも例のない散り際に、SNSは放送直後から騒然となりました。

『これが戦じゃ!』って、手を繋いで飛び降りるとは思わなかった~!! ビックリ~!! ここで勝家とお市様は退場寂しい(@kikyou8225)

豊臣兄弟、『史実<エモ』という価値観には賛同するものの…天守ダイブは百億点でした(@y00black)

お市様と勝家が綺麗な絵面で2人仲良く逝き…勝家がお市様を守るマンとしてヒーローカッコ良すぎた。(@77itpVPZcgowFhe)

「よう見ておけ。これが戦じゃ」という言葉の宛先は、天下取りの道を進む秀吉(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)です。お前たちが選んだ道の先には、こういう死がある。それを見届けてから進め——第31話でお市が小一郎に突きつけた「私を殺してみよ。織田家を滅ぼすとはそういうことじゃ」という言葉を、勝家が最期の身体で実演してみせた場面でした。「鬼柴田」の異名を持つ武人が、最後に見せたのは怒りでも未練でもなく、自分の死を後進への教材にする覚悟だったのです。

この場面の答え

天守からの投身は、史実の「自害」を映像的に置き換えただけの演出ではありません。「これが戦じゃ」と言って死んでみせることで、第32話で利家に託した「その願いは、別の者と果たせ」の続きを、今度は敵である秀吉と小一郎に託した——旧時代を代表する男が、新しい世を作る者たちに「戦の重さ」を遺した場面です。

「ランバ・ラル」「終身名誉勝家」——山口馬木也への拍手と、賛否

この最期に対する反応で目立ったのが、意外な比較でした。

昨日の豊臣兄弟の柴田勝家の最後、ガンダムのランバ・ラルの最後とかぶったのは私だけだろうか? #豊臣兄弟 #柴田勝家 #ガンダム #ランバ・ラル(@red_comet_west)

昨日の豊臣兄弟、勝家さんとお市さんの最後『よう見ておけこれが戦じゃ』の場面思い出したのはファーストガンダムでランバ・ラルが…(@tmrtomotaka)

「機動戦士ガンダム」で、追い詰められた末に若者へ戦の現実を突きつけて高所から散った歴戦の軍人ランバ・ラル。部下と妻に慕われた武人が、敵である主人公の前で自ら死を選ぶ構図は、確かに本話の勝家と重なります。この比較が同時多発的に出てきたこと自体が、「敵役の死を、主人公側への教えとして描く」という本話の構造がしっかり伝わった証拠でしょう。

そして何より、山口馬木也の勝家への賛辞が殺到しました。

何から何まで素晴らしい演技でした。…山口さん演じる柴田勝家……!!! 山口さん、本当にお疲れ様でした。(@Tengeiji0926)

もれなく鬼柴田ロスの朝である。(@dO50JpxPLOXw2Qm)

「山口馬木也さん、最高の勝家殿をありがとう」「山口馬木也さん、終身名誉柴田勝家なのよ」という声が複数の投稿で繰り返され、第32話の雪の決闘から二週連続で、山口馬木也は本作の主役級の存在感を見せました。柴田勝家という武将の史実の生涯と、山口馬木也がこの役に辿り着くまでの道のりは、柴田勝家(山口馬木也)の深掘り記事にまとめています。

一方で、演出の突飛さに戸惑った声があったことも記録しておきます。

実際勝家とお市の最期を見ていて、あまりの突飛さに目が点になってしまって…感動の涙を流してる余裕がなかった。(@sae_manuke)

「飛び降りはないやろ」という反応や、史実改変の是非を問う声も一部で見られました。第32話中川清秀の「寝返り」描写に続き、本作が「史実よりも感情の真実」を優先する作風であることは、もはや明らかです。その是非は視聴者それぞれの判断に委ねられますが、少なくとも本話の投身は「エモいから」だけの演出ではなく、「これが戦じゃ」という主題を伝えるための必然だった——本記事はその立場で読み解いていきます。

最後の晩餐——「嘘が下手じゃな」お市の手料理と、「良い夫に恵まれました」

投身の衝撃が大きすぎて霞みがちですが、本話の本当の白眉は、その前に置かれた二人の食事の場面だったと思います。

北ノ庄に戻った勝家を「よくぞご無事で」と迎えたお市は、すぐに城を離れろと言う夫に、お腹は減っていないかと問いかけます。家臣たちは皆逃がしたから、私が作りました——と、自ら膳を用意していたのです。羽柴の兵が迫るなか「今はこのようなことをしている時ではない」と言いながらも、勝家は結局箸を取り、「うん」と一言。その様子を見たお市は、微笑みながら指摘します。

「嘘が下手じゃな」

まずいのに美味しいと言おうとしたのか、平気な顔をしていたいのに顔に出ているのか——どちらにせよ、嘘のつけない無骨な男を、お市はそのまま受け入れます。そこがあなた様の良いところです、あの秀吉と違って、と。「人たらし」の秀吉を最後まで敵として見据えていたお市にとって、嘘が下手な勝家こそが、信じるに値する夫でした。

そして、お市が語り出したのが浅井家に嫁いだ日の記憶です。あの時の勝家のうろたえぶりを、笑いながら思い出す二人。第10話で初陣宣言までしてみせたお市と、その頃から彼女を見ていた勝家。長い時間を経て、ようやく夫婦になれた二人が、最期の夜に「昔話」をしている——この静けさが胸を締めつけます。

「私は、良い夫に恵まれました」

そう言ってお市は、ともに参ります、用意は万端です、と告げるのです。こうして「あとは羽柴を待つだけ」となった夫婦の姿に、SNSは涙一色でした。

史実通りお二人は亡くなってしまうけど #豊臣兄弟 の #勝家 と #お市 夫婦は…暫く柴田夫妻ロスかも 美しい夫婦愛 ありがとうございました(@akairyu7209)

最期まで“漢”だった柴田勝家・お市様夫妻。かっこいいなぁ。本当に死んでしまうのが惜しかった…ロスがすごいもっとふたりを見たかった(@last_1615)

#豊臣兄弟 #北庄城の別れ 感動。勝家、お市の描きかたは圧巻。(@contra_pre)

天守に上る直前、勝家は「誠にこれでよいのか」と、もう一度お市に問いました。お市の答えは、愛した人の最期を見送るのはもうたくさんだ、私は先に参ります、というもの。第17話「小谷落城」で夫・長政を自らの手で介錯した女性が、「見送る側」を二度と引き受けたくないと言う——この一言で、本作のお市の方という人物の全生涯が繋がりました。だからこそ勝家は、先に逝かせるのでも、後に残すのでもなく、手をつないで「一緒に」を選んだのです。短い間でしたが楽しゅうございました、という言葉を交わし、二人は天守へ向かいました。

この場面の答え

第30話の「私を娶れ」[F30-2]は、第33話で最終回答を得ました。「生まれて初めて、おのれが決めた道」の終点は、悲劇の姫としての死ではなく、「良い夫に恵まれました」と言って夫と手をつなぐ死だった。お市の再婚は「秀吉を止める」戦であると同時に、彼女が初めて自分で選んだ幸福でもあったのです。

守り刀の教え——「差し違えようなど、ゆめゆめ思うてはならぬぞ」三姉妹との別れ

秀吉から三姉妹を引き取るための使者が来たとき、勝家は茶々(井上和)・初・江に「三人とも、誠に美しくなったな」と声をかけ、茶々は「母上に似たのです」と返します。この短いやり取りに、勝家が三姉妹の「父」として過ごした時間の温かさが凝縮されていました。

そして母娘の別れ。「母上、一緒にお逃げくださりませ」と願う茶々に、お市は「そういうわけにはゆかぬのじゃ」と告げ、それならば私も残ります、と言う娘を「それはならん」と退けます。ここでお市が茶々に託したのが、守り刀でした。

「守り刀は、己の身を守るためのもの。決して相手を傷つけるものではない。人と差し違えようなど、ゆめゆめ思うてはならぬぞ」

これは、第32話で茶々が口にした「秀吉の首を取ってみせまする」[F32-2]への、母からの明確な「否」です。刀は復讐のためではなく、生きるためにある。そなたは生きて妹たちを守るのです、そなたがこの二人の守り刀となるのです——復讐を望んだ娘に、お市は「守る側」の役割を与えました。

さらにお市は、いつか父上のようなお方と巡り合ってよい子を生むのです、その子がきっとあなたたちを幸せにしてくれる、この母がそうだったように、と語ります。政略で二度嫁いだ生涯を「不幸」と呼ばず、娘たちがいたから幸せだったと言い切るお市。「やはり嫌じゃ」と泣く茶々に、姿はなくとも母はいつもそばにいる、と告げ、最後は「泣くでない」と娘たちを叱ります。そして三人が涙を堪えて背筋を伸ばしたとき、お市は言うのです。

「それでこそ、私の娘じゃ。娘たちじゃ」

強く生きるのじゃぞ——それが、お市が娘たちに遺した最後の言葉でした。

「お市様の言動全てが茶々ののちの行動に繋がってくるようで」という第32話時点の視聴者の予感は、本話で一気に具体化しました。この守り刀は、羽柴方に持ち物を預かると言われた茶々が「これは誰にも渡さん」と拒んだことで、早くも次の伏線として動き出しています。史実で秀吉の側室となる茶々(井上和)が、この刀と母の教えをどう抱えて生きていくのか。「秀吉の首を取る」宣言と「差し違えてはならぬ」の教えの間で、茶々の物語はここから始まります。

寧々と三姉妹——「名乗りなさい。それが礼儀というものです」

北ノ庄落城後、ナレーションは織田信孝が岐阜から尾張・内海へ送られ自害させられたこと、秀吉が三法師を自らの庇護下に置き、信雄の補佐役として戦後処理を行ったことを伝えます。そして三姉妹は、秀吉のもとへ。

ここで登場したのが、寧々(浜辺美波)です。「これから姫様方のお世話をする者にお引き合わせいたします」と秀吉が連れて行った先で、寧々は自ら名乗り、そして黙り込む三姉妹に対して、はっきりと言いました。

「名乗りなさい。それが礼儀というものです」

驚いて「何をいきなり」と口を挟む秀吉を制して、寧々は続けます。あなたのよからぬ振る舞いは、お市様の名を汚すことにもなる。私はお市様が大好きでした。そのお市様の大切な姫様方に、決して辛い思いはさせませぬ、と。母を亡くしたばかりの娘に対して、同情でも遠慮でもなく「礼儀」から入る。この厳しさが、寧々なりの誠実さでした。茶々は「浅井長政と市が娘、茶々にござります」と名乗り、初、江もそれに続きます。

第26話の長浜城の饗応で信長とお市を迎えた寧々だからこそ、「お市様の名を汚す」という言葉には重みがあります。そして史実を知る視聴者は、この場面の先に何が待つかを知っています。茶々はやがて秀吉の側室・淀殿となり、寧々(北政所)と豊臣家の内側で並び立つことになる。「決して辛い思いはさせませぬ」と誓った寧々と、「秀吉の首を取る」と宣言した茶々の初対面は、物語後半の女性たちの関係を決める起点として置かれました。

宗易(千利休)登場——「わし、好きやないねん、茶」苦い茶と甘い菓子の意味

お市まで死なせてしまった。その事実に打ちのめされた小一郎は、大徳寺にこもります。第31話でお市に問われた「そなたにはあるのか。今の兄を、誠に支える覚悟が」が回想として重なるなか、小一郎は手にした茶碗を落として割ってしまいます。

そこに現れたのが、関西弁の茶人・宗易(吉岡秀隆)でした。割れたのは一国にも匹敵する大名物だと平然と告げ、青ざめる小一郎に「なんぞつらいことでもあったんか?さっきからずーっとそういう顔やさかい」と声をかける。そして茶を点て、菓子を出しながら、こう言ってのけます。

「わし、好きやないねん、茶」

茶人が茶を好きではないと言う。「え、それで終わる?」と面食らう小一郎に、宗易は答えます。決まってますやんか、この甘さを引き立たせるために、苦い茶を飲んでんねん。先にこんなええもんが待ってると思うたら、苦い茶を飲むのも楽しいやないか——。

豊臣兄弟!ののちの利休殿の茶の楽しみ方が私の酒の楽しみ方と似てるような気がする。(@seraphim888)

千利休がやってた、金継ぎも風流でしたね。…今回の豊臣兄弟は、視点が新しいよね。(@TncLwPeaiOe9Huc)

豊臣兄弟制作陣も北の国からの愛着強いんだな。純君が年をとったらこうなる風味の利休に仕立ててきた。(@Taigaa001)

この「苦い茶と甘い菓子」の話は、そのまま小一郎への処方箋です。お市の死という苦さの先に、甘いもの——兄が笑って生きられる世——が待っていると思えるなら、苦い道も歩ける。宗易は説教も慰めもせず、茶の楽しみ方を語るだけで、小一郎の顔を変えてしまいました。SNSで話題になった金継ぎの描写も同じ文脈にあります。割れてしまったものは元には戻らないけれど、継いで、傷ごと美しく使い続けることはできる。お市を失った羽柴家も、割れた兄弟の関係も、継いで進む——本話の主題を一つの器で語る、見事な小道具でした。

なお、千利休役の予想記事で追いかけてきた「利休は誰が演じるのか」の答えは、吉岡秀隆でした。「北の国から」の純が年を重ねたらこうなる、という声の通り、飄々として掴みどころのない、けれど人の心の急所を見抜く宗易です。史実の千利休(宗易)は堺の商人出身で、この頃すでに信長の茶頭を務めた第一級の茶人。そして秀長との関係で言えば、天正14年(1586年)に大友宗麟が「内々の儀は宗易、公儀のことは宰相(秀長)」と書き残したほど、二人は豊臣政権を内と外から支える両輪となります。さらに、秀長が病没した天正19年(1591年)の直後に利休が切腹を命じられるという史実を思えば、大徳寺での出会いは、豊臣政権の「良心」二人の始まりであり、同時にその終わりを予告する場面でもあるのです。

小一郎の答え——「楽しき道のりではないか」お市の問いに出した覚悟

大徳寺に小一郎を迎えに来たのは、慶(吉岡里帆)でした。一人で苦しんでいると聞いて、もしかしたら自ら命を絶ってしまわれるのではと、いてもたってもいられず、首に縄をつけてでも連れて帰ろうと来たのに——なぜそんな清々しい顔をしているのか、と。宗易の茶で顔つきの変わった小一郎は「すまん」と詫び、慶に会いたかったと告げます。

「次からは、苦しむなら私の前で苦しんでください。私たちは夫婦ですから」

第32話で「こたびこそは、共に死ぬと決めております」と言い切った慶が、今度は「私を頼ってください」と夫を連れ帰る。羽柴家の夫婦がお互いを「頼る」関係に着地したこの場面は、勝家とお市の夫婦愛と対になる、もう一つの夫婦の物語でした。

そして帰還した小一郎と秀吉の対話。「よう戻ってきてくれた、と言いたいところじゃが」と、まことにそれでよいのかと問う秀吉に、小一郎は兄の顔をじっと見て言います。

「兄者はずっとそうじゃ。笑い笑い笑い、中では泣いておる。泣くこの顔を、誰にも見せようとはせぬ」

第29話の「私が天に立つ」以来、第30話の猿芝居、第31話の葬儀ジャックと、笑顔の裏に何があるのか読めなかった秀吉。それを「笑いながら中では泣いている」と言語化したのは、弟でした。そのうえで小一郎は、楽な道ではないことも、手を血に染めることも、また人を死なせることもあるだろうと認めたうえで叫びます。

「じゃがそれでも、その先に、兄者が笑って暮らせる世があるのなら——天下一統、楽しき道のりではないか!」

この日の本を一つにする、誰もなし得なかった大仕事を、わしらがやってのける、胸が高鳴るではないか。わしらが笑っていなければ、民を笑わすことなどできぬ。案ずるな、兄者が笑って天下一統できる道を、このわしが見つけてみせる——。

この場面の答え

第31話でお市が突きつけた「今の兄を誠に支える覚悟はあるのか」[F31-2]への、小一郎の答えが出ました。兄の非道を止めることでも、兄に従うことでもなく、「兄が笑って天下を取れる道を、自分が見つける」という第三の道。宗易の「苦い茶の先に甘いものが待っている」は、この答えのための伏線でした。

その夜、久々に家族の集まった羽柴家で、秀吉は「皆に話しておきたいことがある」と切り出します。上様の後を継げるのは、わしの他にはおらぬ。わしが天下人になる。そうやってわしが天下人になれば、死んだ上様があっと驚くであろう、これほど面白きことはない。そして皆に夢を見せてやりたい、百姓も侍も、ともに笑って生きられる世を作る、上様に「ありがとう、藤吉郎。よくやった」と言ってもらいたい。付いてこられぬ者は去ってかまわん、と。

それに対する家族の答えは、そんなことは皆とうの昔に分かっておりました、それでも我らはここにおります、それが答えです、というものでした。第32話で利家にだけ明かした「わしにしか作れぬ世」を、秀吉はついに家族の前で宣言し、それを小一郎の「楽しき道じゃ。いざ、参ろうぞ!」が締めくくります。お市と勝家を死なせた直後にこの明るさで終わる構成に、戸惑いを覚えた視聴者もいるかもしれません。しかし「よう見ておけ。これが戦じゃ」を見届けたうえで、それでも笑って進むと決めた——その重さを引き受けた笑顔であることを、本話は冒頭からの積み上げで示していました。

史実との比較——北ノ庄落城・辞世の句・信孝の最期・九層の天守

最後に、本話の背景となった史実を整理します。

北ノ庄城の落城は、天正11年(1583年)4月24日。賤ヶ岳で敗れた勝家は北ノ庄に退き、翌日には秀吉軍に城を包囲されました。史実の勝家は天守に火を放ち、お市とともに自害したと伝わります。享年62。お市は37歳でした。「手をつないで天守から飛ぶ」という描写はドラマの創作ですが、「城を枕に、夫婦がともに死んだ」という核は史実の通りです。天守の高さについては、宣教師ルイス・フロイスが「安土城の天守に劣らない」規模だったと記しており、紀行パートで紹介された「九層の巨大な天守」という伝承は、この記述に基づいています。

二人はそれぞれ辞世の句を残したとされます。お市の「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ 郭公かな」に対し、勝家は「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山郭公」と返した——夫婦で詠み交わした形の辞世は、本話の「ともに行きます」に通じるものがあります。二人の墓は福井市の西光寺にあり、紀行の通り今も同じ地で眠っています。

三姉妹(茶々・初・江)が落城前に城を出され、秀吉の保護下に入ったのも史実です。茶々はのちに秀吉の側室・淀殿となり、初は京極高次に、江は最終的に徳川秀忠に嫁ぎます。三人が寧々のもとで育てられたという直接の記録はありませんが、秀吉の庇護下で成長したことは確かで、本話の寧々の場面はその史実を人物関係として具体化したものです。

織田信孝については、ナレーション通り、賤ヶ岳の敗戦後に岐阜城を開城し、尾張・知多の内海(野間の大御堂寺)に送られて自害させられました。天正11年5月2日のことです。「昔より主を討つ身の野間なれば 報いを待てや羽柴筑前」という辞世が伝わり、その恨みは本作でも今後の秀吉の影として残るかもしれません。第30話の清須会議で三法師を抱いた秀吉が、その後見を名実ともに手にしたのもこのタイミングで、三法師(織田秀信)のその後を知ると、本話の「庇護下に置き」というナレーションの重さが分かります。

そして紀行で語られた勝家の統治者としての顔——街道や橋を整え、48艘の船を鎖でつないだ船橋を架け、その鎖は領内で集めた刀から作られたという伝承——は、いわゆる「刀狩り」の先駆けとして知られる史実です。秀吉が後に天下規模で行う刀狩りを、勝家が越前で先に実践していた。本話のラストで秀吉が語る「百姓も侍も、ともに笑って生きられる世」の原型が、実は滅ぼした敵の治世にあったという皮肉は、本作が今後どこかで拾うかもしれません。

今話の伏線・考察まとめ

各話の未回収・回収済み伏線は、伏線まとめページで随時更新しています。

第33話「北庄城の別れ」伏線まとめ
  • [F30-2|お市「私を娶れ」|回収済] 「生まれて初めて、おのれが決めた道」の終点は、「良い夫に恵まれました」と言って夫と手をつなぐ死だった。第30話からの再婚の物語が完結。
  • [F31-2|お市の問い「今の兄を誠に支える覚悟はあるのか」|回収済] 小一郎の答えは「兄者が笑って天下一統できる道を、わしが見つける」。改名(秀長)はまだ。
  • [F17-1|三姉妹の行方|回収済] 秀吉の庇護下へ。寧々が「決して辛い思いはさせませぬ」と世話役に。以降は茶々個人の伏線(F32-2/F33-1)へ引き継ぎ。
  • [F33-1|茶々の守り刀「差し違えようなど思うてはならぬ」|未回収・新規] 「秀吉の首を取る」宣言への母からの「否」。「誰にも渡さん」と抱えた刀が、淀殿の物語でどう使われるのか。
  • [F33-2|小一郎の誓い「兄者が笑って天下一統できる道を見つける」|未回収・新規] 「笑い笑い、中では泣いておる」兄の仮面を見抜いた弟の長期目標。
  • [F33-3|宗易(千利休)と小一郎——苦い茶と割れた大名物|未回収・新規] 「内々の儀は宗易、公儀は宰相」の両輪の始まり。金継ぎの器と、1591年に待つ二人の結末。
  • [F33-4|寧々と三姉妹「決して辛い思いはさせませぬ」|未回収・新規] 後の北政所と淀殿の初対面。
  • [F32-2|茶々「秀吉の首を取ってみせまする」|継続] 守り刀の教えと宣言の板挟みに。秀吉の庇護下で本格始動。
  • [F32-1|秀吉の約束「日の本中に、ずっと雪を降らせろ」|継続] 「百姓も侍も、ともに笑って生きられる世」宣言として家族の前で言語化。

来週予告考察——第34話「最強のライバル」

次回・第34話「最強のライバル」(9月6日放送)。タイトルが指すのは、もちろん徳川家康(松下洸平)です。予告では「もう誰にも従わない」と叫ぶ家康の姿が映り、SNSは早くも反応しました。

次回予告でいえヤス様叫んでたヤスね〜 #豊臣兄弟 では描かれない、いえヤス様が奪われたモノ…(@Tanuyasukun)

来週の平さんの演技、『こうしちゃいられねぇーぜ』魂が見られそう(@35_thoroughbred)

予告の台詞から読み取れるのは、織田信雄が家康に「秀吉を倒そう」と持ちかける流れ、そして家康が「徳川が立つのであれば、いつでもお味方いたします」という声に背中を押されて決断する場面です。史実では、賤ヶ岳の翌年・天正12年(1584年)に、秀吉と信雄・家康連合軍が激突する小牧・長久手の戦いが起こります。秀吉が生涯で唯一、野戦で家康に負けたとされる戦いであり、第3話の初登場以来、常に秀吉の一歩先を読んできた家康が、ついに正面から立ちはだかる回になりそうです。「いえヤス様が奪われたモノ」という投稿が示すように、第27話で触れられた築山殿・信康事件——信長に妻子を奪われた家康の過去——が、「もう誰にも従わない」という叫びの背景にあるのかどうかも注目です。

また予告では、大坂城を築いて権威を示す秀吉の姿も映りました。本話で「わしが天下人になる」と宣言した秀吉が、いよいよ天下人としての舞台を作り始めます。「よう見ておけ。これが戦じゃ」の言葉を胸に、「楽しき道」を進むと決めた小一郎が、最強のライバルとの戦をどう「楽しき」ものにできるのか。「あと15話」という声もあるように、物語は後半戦の新章に入ります。

次回・第34話「最強のライバル」の詳しい考察は、【豊臣兄弟!第34話 ネタバレ感想】(内部リンク)で公開予定です。

柴田勝家とお市が天守から飛び降りたのは史実?

創作です。史実では天正11年(1583年)4月24日、勝家は北ノ庄城の天守に火を放ち、お市とともに自害したと伝わります。享年62、お市は37歳。「夫婦が城とともに死んだ」という核は史実通りで、投身はそれを映像的に置き換えたドラマ独自の演出です。

三姉妹(茶々・初・江)はこの後どうなる?

史実では落城前に城を出され、秀吉の保護下で成長します。茶々はのちに秀吉の側室・淀殿となり、初は京極高次、江は徳川秀忠に嫁ぎます。ドラマでは寧々が世話役となり、茶々には母から「差し違えてはならぬ」と守り刀が託されました。

千利休役は結局誰だった?

吉岡秀隆です。第33話で堺の茶人・宗易として登場し、大徳寺で小一郎と出会いました。「わし、好きやないねん、茶」という台詞と関西弁の飄々とした人物像が話題に。史実の利休は秀長と並んで豊臣政権を支え、秀長の死の直後の天正19年(1591年)に切腹を命じられます。

織田信孝はどうなった?

ナレーションの通り、賤ヶ岳の敗戦後に岐阜城を開城し、尾張・内海の大御堂寺で自害させられました。天正11年5月2日のことで、秀吉への恨みを込めた辞世の句が伝わっています。

「これが戦じゃ」は誰に向けた言葉?

城を囲む羽柴軍——秀吉と小一郎——に向けた言葉と読めます。第31話でお市が「私を殺してみよ。織田家を滅ぼすとはそういうことじゃ」と問うた覚悟を、勝家が自分の死で実演してみせた場面です。

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